トレンド分析のむずかしさ

 どんな業界でもトレンドの分析というのはとても大事ですよね。ファンドマネージャー兼デンキ屋経営兼マルチコンサルティングという職業柄、わたしもやはりトレンドというものは常に意識しているわけですが、分析となると最近は特にこれがなかなか難しいものでございまして、というのも、IT革命と金融危機以降、人々の価値観がさらに多様化し、生活スタイルもどんどん加速して細分化、その結果、トレンドを分析するためのデータ量も膨大となり、分析しているうちに次のトレンドの波が打ち寄せる、なんてなことになってるからですね。先日、とある住宅メーカーの営業マンがこぼしてましたが、オール電化や太陽光発電といった最新設備の住宅を求めるお客さんがいる一方で、電気もガスも水道もいらない、竪穴式住居に住みたいから作ってくれ、などという若い世代のお客さんも増えているそうです。↓これは住宅メーカーによる竪穴式住宅展示見学会の模様ですかね。









そうか、こういった生活にあこがれる人もいるんですよね。

今期事業展開その3グローバル企業への道

「マグナカルタ」9世紀後半ブルボン朝ペルシャのマグナ地方で流行した西洋カルタの一種で、日本には13世紀ごろシルクロードを経て伝わり流行した。マグナカルタは、カルタの前では皆平等であるといった思想を根底としていたため、とくに苦しい生活をしていた農民にはマグナカルタばくちにおぼれ、仕事をうっちゃらかしにした者も多く、そのため農地は荒れ、たびたび飢饉が起こった。そのため豊臣秀吉はマグナカルタを禁じ、すべて没収し焼滅ぼした。これを、マグナカルタ狩という。
「ナントの勅令」唐南部の都市南都を訪れた東ローマ帝国の皇帝であるアレクサンドリア14世は、労働党を結成し、農奴の解放と公娼制度の廃止を宦官サンチョパンサに命じたところ、彼は「な、なんと!」と駄洒落で応えたので、むかついた皇帝がサンチョを叩いた事件である。
「ばら戦争」新大陸で起こった先住民族の反乱であるが、指導幹部のポリシーがばらばらだったがために派閥が生じ、単なる内部抗争に終わった。もとは「みんなばらばらじゃダメじゃん抗争」なのだがこれを略してばら戦争という。これは後の百年戦争につながった。
「バルカン戦争」日本ではじめて起きた対地球外生物戦争である。明治41年、千葉県八街で肥沃でないコチコチの荒地を開拓していた農民らが謎の巨大生命体をみつけ警察に通報した。すると、マスコミは大騒ぎ、手がちょうど大きなハサミのような形状であったためその謎の生命体を揶揄してハサミ野郎、もしくはやちまたシザーハンズなどと呼んだ。一方そのころ、舶来のバリカンが普及しはじめた理容業界では、ハサミを唯一の道具とするべきだという唯鋏党と、仕上げにはハサミを用いるけど前半だけならバリカン使ったっていいんじゃねえのいうバリカン半党の対立が激化していた。これにバリカンを独占的に輸入販売していたフランスの商社が加わり血みどろの戦いとなった。...、ってもういいか。
「後醍醐天皇」欧米の楽器を用いガンダーラを謡い新古今和歌集を、って、くどいよね。
つまりですね、よく試験問題なんかであるでしょ。次の語句を四百字以内で説明しなさい。とかいうの。それをですね、復習のためといいますか、自分の記憶力を試すためにですかね、やったんです。歴史教科書の索引にある事柄を記憶だけをたよりにその説明文を書いてみたんです。他にも、ニューディール政策、アロー戦争、蘇我入鹿、焚書坑儒、班田収授法、バルフォア宣言、プラッシーの戦い、とかね。それでね、答え合わせをしてみたんですね。で、がーん。ぜーんぜん、そりゃもうぐっちゃぐっちゃですよ。私の記憶能力。私の頭脳。ふだん脳を使ってないからこうなんです。浅学菲才どころじゃない。脳がどんどん退化している。暇さえあればゴルフにスノボー、サーフィン、ナンパ、暴走、芸者遊びや博打に興じてばかりの毎日だからいけないのだ。ふだん怠けているから急に勉強しようとしたってだめなんだ。
とはいっても、あれですよ。歴史なんてものはだいたいの流れがわかればいいんですよ。詳しく知りたければそこんとこだけちょちょいと調べりゃいいんですから。必要なことだけをその都度検索すればいいんです。いまはインターネットいう便利なものもあるし、そこにはフリーの百科辞典もありますしね。肝心なのは歴史の流れを掴むことです。そうそう。だいじなのは流れ。でもな、あれ?でも、...、え?...鎌倉時代と室町時代、...これ、どっちが先だっけかなぁ、って、またまたガーン。ダメじゃん。ぜんぜん流れもつかんでないじゃん。あー、オレって頭悪ー。これではヒャクネンニイチドを分析、解釈なんかとてもとてもおぼつかない。事業計画ははるか遠い。これじゃオレ出世できないわけだ。自分が長年うだつがあがらないのは才能がないからだ。才能ってのは努力する才能のことで、いちばん大事な、人間の根本の素質が自分には欠けているのだ。なーにが士魂商才だ。ってしょんぼり。自分にがっかり。ひーん、こうなったら自棄だ、酒飲もうぜ、ひとり花見だ、つって朝から安葡萄酒をもって秋葉さんに出かけた。
さて、長い文章だと読む人が少ないから気楽に書けていいね。ま、もともとアクセス数が一日7件くらいだし、そのうち2件はオレだしね。
で、早朝、あたくしは、わたしは、ぼくは、オレは、拙者は、(劣等感ゆえにとつぜん一人称がわからなくなった)迂生は、つんつんと参道を抜け、奥の百段をぜいぜいはぁはぁへげへげ上っていると、さすが秋葉さん、修験者だろう、後ろから、ほら貝ぶら下げ、金剛杖つき、なにやら唱えながらご老体が上がってくる。うわわわ、僕なんて僕なんて不浄の者ですからと、もちろんわたしは一歩二歩脇にどく。険しい顔の老修験者が目の前をゆく、その金剛杖の重い震動、しわがれた声、ああ、その時、すすざざざぞぞぞぞとオレの肌は粟が立つ。あああ、唱えている言葉が、百年一度百年一度と聞こえたからだ。一段一段の歩みに一定の律動と抑揚をつけて、ヒャク・ネン・イチ・ドー・ヒャク・ネン・イチ・ドーと唱える声と4ビートのその響になぜかぞっとした。ぶるっとした。これはいったいどういうわけでしょう。だって、良く知らないけどさ、ふつうこういう修行とかのひとって六根清浄六根清浄とかって唱えたりするわけでしょ?ふつうヒャクネンイチドなんて唱えないざんしょ?ロッコンショウジョウロッコンショウジョウ、もしくは、lock on shown Johでござんしょ?つーことは、なんですかね、あの修験者のおっさんは。修験者仲間で集まって謀反の計画でもしてるのかな。と思ったそのとき、あっ、と閃くものがあった。歴史教科書にあった事件の名称が頭に浮かんだのだねこれが。天狗党の乱。...(つづく)

今期事業展開その2歴史に学ぶ

「歴史を学ぶのではなく、歴史から学ぶのです」高校時代の恩師である、とてもとてもお世話になった史学の桜井先生はそう言った。つまり、ふるきをたずねてあたらしきを知る。未来は学べないが過去は学べるという、まぁ温故知新というやつだね。そんなことは為政のエライ人たちはもちろん知ってるだろうけどさ、でもさ、けっきょく人は歴史に学ぶことができないから似たような事が起きてしまうんじゃねえの。温故知新ということばだけが廃れないのは、それができないからじゃないんかい。
とは思うものの、商売のため、金儲けのため、市場の現況を分析するため、すがる思いで、僕は寝食も忘れ、酒も絶ち、カフェインとタバコだけを喫し、炬燵の中にこもり、わずか3日間で高等学校世界史と日本史の教科書を精読、そして全てを記憶した。あはははは。すげえ!俺って天才だぁ、パーフェクトじゃん。つって満足、得意になってガンガン、そりゃもうグイグイ、葡萄酒やら清酒やら焼酎やら麦酒を飲み、うなぎとどじょうを8匹ずつ喰っちゃって、ひとり打ち上げってわけで、泥酔の挙句まる一日眠った。ところが、

今期事業展開その1基礎研究

去年秋頃からだろうか、百年に一度百年に一度、って、いろんなところで耳にするのだが、いったい何が百年に一度なのか、僕には全然わからない。わからないというより何の実感も無い。個人的にずっと経済危機が続いているからか。それよりヒャクネンニイチドと聞くたびに、妙に歴史的っていうか大仰な感じの変な気分にさせられてしまうのがむかつく。時勢に踊らされてる、脅されてるみたいでなんか嫌なのだ。しかし、歴史の断層にへばりついて生きてるくせに「ふーん、あ、そう、それで、どうなるの?」ってせせら笑っておいて漠然と現実を甘受しているばかりでは何も解決出来ない。解決っていうのはまぁ、むろん僕にとっては銭儲け、いい方を変えると利潤の追求のことであるんだけどね。とにかく大儲けしようと企む実業家である僕としては、長期的経営プランのためのマーケッティングリサーチという意義もあるし、いったい何が百年に一度なのか、その正体、実体をを自分なりに把握することが肝要だと思われるのだが、それが実にむずかしい。なぜなら、僕は百年以上も生きていないので、ヒャクネンニイチドという事態に該当するような出来事の記憶が全く無いないからであって、...ん、じゃ、なんだ、このヒャクネンニイチドということを言い出したおっさんは4500年くらいは生きているのか?どうなんだ?って、4500年も生きてるわけないじゃん。じゃぁ、なんで?何を根拠にヒャクネンニイチドなどと嘯くのであろうか。とここで僕は考えた。おそらくこのおっさんは現存する古の人々が残した記録を読んだか聞いたかして今の状況と照らし合わせ、なんらかの共通点を見出したってことではないだろうか。とすると僕にだって昔からの記録を読んだり聞いたりすればこのヒャクネンニイチドを理解し、把握できるにちがいない。昔からの記録を首尾良く編纂し、わかりやすくしたものに歴史教科書というものがある。そこで僕は銭儲けのため、利益の追求のために高校時代の教科書をひもとき、もう一度はじめから歴史を勉強してみようと考えた。すると、急にぞくぞくするような、それでいてすこしばかりわくわくするような気分になっちゃったのだ。そわそわもしているのは春だからかもしれないけどね。こんな気分はひさしぶりだ。入学式の朝のような緊張と不安と期待をかき混ぜ膨らし粉を加えてひと晩ねかしたのを大きくのばして焼くだけにしたようなものをオーブンに入れた時の気分に似ているかもしれない。ってわけわからん。まぁそうして僕は歴史の勉強をはじめようとしたわけだが、最初から問題が発生した。それは、人類のはじまりからはじめるか、40億年前の地球からはじめるか、それとも宇宙のはじまりからはじめるのかで迷い、気が遠くなったのであった。

| 1/1PAGES |

kuriden3をフォローしましょう Instagram

selected entries

categories

links

search this site.

          

ヤフオクもよろしく

recent comment

archives

others

mobile

qrcode